2024-03-22 ドラマ版「十角館の殺人」
金曜日。6:00起床。ついに、理想の起床スタイルに入ったか。
また数日空いてしまったが、特になにか理由があったわけでもない。習慣づいていないというだけだ。18日に詩織ちゃんのソロコンのアーカイブ配信が始まってからというもの、ずっとずっと、人生でこれまで経験した事のないような余韻に浸っているというそれだけである。
このままそういうわけにもいかないので、今日はちょっとだけ劇的な出会いが会ったことを書こう。
本日から配信がスタートされたhuluオリジナルドラマ「十角館の殺人」をさっそく鑑賞した。計5話。時間にしてだいたい4時間ぐらいだろうか。これがすこぶる面白かった。期待を大きく超えてくる完成度であったと言ってもいいだろう。とにかく凄い。
まずなによりも、あの十角館のトリックとその衝撃の明かし方をまさしく『映像で実現している』のだ。これだけでこのドラマを観る価値は大いにあるだろう。
言わずとしれた、エンタテインメント小説の歴史を「十角館以前・十角館以後」と分けてしまうほどのインパクトを残した歴史的ミステリ小説の実写版。
原作を読んだ人なら誰しもが理解している「映像では絶対に再現不可能」なトリックが仕掛けられた伝説の「あの一行」をどう表現するのかに注目が集まった実写化であるが、結果を言えば完璧に再現されていた。
自分は原作を何度も読んでいて犯人もトリックも既に知っているにもかかわらず、それでも「あの一行」を表現したカットは鳥肌が立つほどのショックと動悸を覚えるレベルのインパクトがあった。
ドラマにしろ映画にしろアニメにしろ、原作モノを映像化するにあたって、作者や作品への敬意をまるで感じない原作改変が多い事が問題になっているが、ドラマ版「十角館の殺人」はとことんまで原作愛に満ちた作品であった事には間違いがなく、なにより素晴らしいのは、前述の「あの一行」を表現するカットまで、ストーリーと構成を原作から一切変えず、むしろ完璧なまでに忠実に映像で再現されている事だ。
その愚直なまでの忠実さは驚くべき品質に達していて、1986年という時代の表現、島と本土でのストーリーが交互に展開される場面構成、常に時間軸を意識させる展開、島にいるキャラクターと本土にいるキャラクターの造形とセリフと演技のベクトルの違いまで「あの一行」に最大のインパクトを持たせるための仕掛けであると、しっかりと理解した上で映像化されたドラマの進行になっている。
物語の舞台である十角館の建物はもちろん、原作には細かな記述のない探偵役;江南・守須の部屋などセットのリアリティと作り込みも尋常ではなく、それを眺めているだけでも楽しい。なにしろ本棚にある本の一冊一冊まで80年代の時代表現を意図した細やかさでダミーが作成されているのだから驚いてしまう。
なぜ変えてはいけないか?
それは原作のファンのためじゃない。単にそのままやった方が面白いに決まってるからだ。
その事をこれ以上無い形で証明した凄い傑作になっている。
今後、様々なミステリー・サスペンスドラマの教科書的な作品として、常に比較対象に上がる事だろう。これでもうドラマや映画の制作者は「この方が観てる人に分かりやすいから」という無意味な配慮という名の「単に自分がそうしたいだけ」に逃げる事は出来なくなったと言える。